旬のひと・もの・こと特集

第17回 クラタペッパー 〈前編〉

KURATA PEPPER Co.Ltd./株式会社クラタペッパー 倉田浩伸(2025.01.23)

日本人の熱き思いで復活した
世界最高峰のカンボジア産胡椒。

【KURATA PEPPER Co.Ltd.】
カンボジア #35B Street 606, Boeng Kak II, Toul Kork, Phnom Penh CAMBODIA 120408

【株式会社クラタペッパー】
愛知県岩倉市新柳町2-85-1-103

【ホームページ】
https://kuratapepper.com/
https://kuratapepper.co.jp/

【Facebook】
https://www.facebook.com/kuratapepper/
https://www.facebook.com/kuratapepper.japan

【Instagram】
https://www.instagram.com/kuratapepper.japan/

ヨーロッパの料理人たちにも愛された
魅惑的な香りと風味を、いま再び。

 スパイスの代表格と言えば、「胡椒/PEPPER」。私たち日本人にとっても、いまや最も身近な香辛料です。古くは奈良時代に伝来、明治・大正に洋食文化とともに取り入れられ、戦後に白胡椒と黒胡椒を細かく挽いて合わせた手軽な卓上コショウが普及。1990年頃からはホール(粒)をミルで挽く“粗挽き黒胡椒”が人気となり、家庭でもより深い芳香を手軽に楽しみ、すっかりおなじみとなりました。

 胡椒の起源はインドで、紀元前2000年頃既に薬として利用され、エジプトを経て古代ギリシャ、ローマ時代にヨーロッパへと伝播。非常に貴重な品であることから、「黒い黄金」とも呼ばれ、中世ヨーロッパでは金や銀と同等の価値を持っていたほどです。
 現在は、ベトナムが世界最大の胡椒生産国であり、インド、インドネシア、ブラジル、マレーシアが産地として有名ですが、「高品質な胡椒」の産地となると、世界遺産アンコールワットで知られるカンボジアがトップに躍り出てきます。

 カンボジアの胡椒は、約700年ほどの歴史があり、ヨーロッパでは「世界一美味しい胡椒の産地」として知られてきました。肥沃な土地と温暖な気候、主にカンボジア南西部カンポット産の胡椒は最高品質を誇り、1870年代からのフランス植民地時代には、ヨーロッパの高級レストランがこぞって買い求めたそうです。

 ところが、世界最高峰とまで言われたカンボジアの胡椒は、実はある時期完全に失われ、生産が断たれてしまいました。それは、1970年代のポル・ポト(クメール・ルージュ)政権による内戦に起因します。
 凄惨な虐殺により実に国民の約3分の1の命が失われ、伝統や文化はもちろん経済的基盤も人々の生活環境も壊滅。農民は追われ、農地も荒廃、胡椒栽培の伝統の製法も失われ、ほぼ絶滅状態に…。1991年パリ和平協定によってようやくカンボジアの内戦が終結するも、自立復興に至るにはほど遠く、治安も悪く貧困が著しい状態が続きました。

 その翌年の1992年、NGOの活動を通じて初めてカンボジアの地に足を踏み入れた、ひとりの日本人がいました。それが、やがてこの地でたった3本の苗木から奇蹟のカンボジア胡椒を復活させた『KURATA PEPPER』の倉田浩伸氏でした。

 これまでも国内外のメディアで多くその困難な道のりと偉業が紹介され、その名を知る人、感銘してペッパーを愛用する人も少なくないでしょう。

倉田: 初めてカンボジアを訪れた時はまだ大学4年生でした。その2年前、アメリカに語学留学した際の1991年1月、アメリカを中心とした多国籍軍によりイラクとの湾岸戦争が勃発しました。その時、アメリカ人の学生に“日本はいいよな、(戦地に行かず)金だけ出してて”と揶揄され、それはもう悔しい思いをしました。その時から、何としても平和のために人的貢献をするんだ!と強く思い続けていましたね。

映画を通じて知ったカンボジアの悲劇
その再生への思いと奇跡的な縁に導かれて。

 倉田氏とカンボジアとの出会いは、1985年に遡ります。当時中学3年生だった倉田氏は、ポル・ポト率いるクメール・ルージュによる暴挙、虐殺を描いた映画『キリング・フィールド』を観て、カンボジア内戦の悲惨さに大きな衝撃を受けました。折しも実兄を交通事故で亡くしたばかりで、命の尊さ、なぜこのような凄惨な戦争が起きるのかなどを考えさせられていた矢先で、以来貪るようにカンボジアの歴史や文化について学び始めたそうです。

 大学卒業後も、NGO事務局員としてカンボジアでの学校建設プロジェクトに携わるなど行き来を重ねるうち、「この国が本当の意味で自立できるためには、教育を支える大人がまず経済的自立をする必要がある」と痛感。もともと水も土地も豊かなカンボジアなら、やっぱり農業の再興だ!と考え、1994年にプノンペンに事務所を開設し、農産物の輸出会社を起業しました。

倉田: 最初はドリアンとかココナッツの輸出などにもトライしたんですけどね。発酵が進み過ぎての異臭騒ぎやら、機内での破裂やら、いろいろ笑えない失敗ばかりで、心が折れかけましたね。

 そんな時、故郷である三重県で病気療養中だった大伯父から「会いたい」と呼ばれ、帰国の折に見舞ったところ、1960年代に農業指導でカンボジアに赴任していたことを告げられ、「かつてカンボジアには世界一と評されたクオリティの高い胡椒があった」と当時の貴重な資料を手渡されました。
 なんという縁だろう!倉田氏は、早速それに記された最大の胡椒生産地、南部のカンポット州へと足を運びました。しかし心は逸るも…現実は甘くありませんでした。

親類から預かった1962-1964年の農業統計資料

 長年の内戦で胡椒農園は荒れ果て、伝統栽培の知識は途絶え、種苗の確保すらままなりません。それでも倉田氏は諦めず、各地を2年ほど調査して回ったところ、カンポット州に隣接するコッコン州のある農村で、ひとりの男性と出会います。聞けば、奇跡的に残った3本の在来種の胡椒苗を増やしているというではありませんか。代々薬に頼らず伝統農法でやってきた場所で、しかも熱帯雨林気候の豊かな降水量と水はけの良い砂地という好条件でした。

 「よし、ここで現地の人と、伝統的な自然農法で世界最高峰のオーガニックな胡椒を作ろう!」
 倉田氏は意を決して自社農園として契約を交わし、ともに胡椒づくりに取り組むことにしました。1997年、『KURATA PEPPER』の第一歩でした。


● クラタペッパーについて


● クラタペッパーのあゆみ


いくら品質が良くても日本では売れない。
フェアトレードの難しさに直面した日々。

 農薬や化学肥料を使用せず、天日乾燥など風味を最大限に引き出すカンボジアの伝統的な自然農法で生産する胡椒。いよいよ復活させるぞ!とはいっても、そう簡単には問屋が卸してくれません。内戦で十分な教育を受けられず、経済感覚にも乏しい農家の人たちと、いかに信頼関係を築いて健全なビジネスを育んでいくか、頭の痛い日々が続きました。

 さらにぶち当たった壁は、せっかく育てた胡椒を日本の商社や食品企業が買ってくれないという現実!「カンボジア産ならもっと安くなるでしょ」と、質を見極めるより価格重視で相手にしてくれない。カンボジアの生産者の立場を守ることを前提に、倉田氏は「品質が良ければ買ってもらえる」、いわゆるフェアトレードの意識を当時から強く持っていただけに、現実とのギャップに落ち込みました。

 売れなければ給料も払えない。ひとりまたひとりと社員が辞めていき、副業で雇ったスタッフも来なくなり、日本から戻ると事務所のパソコンや車ごとなくなっていたこともあったそう。借金ばかりが残り、旅行コーディネーターなど他の仕事で凌いではいたものの、「もう諦めるしかないのかな」と思っていたところに、信じられないような転機が訪れます。

 2001年6月、秋篠宮文仁親王ご夫妻がカンボジアをご訪問。現地で活動する日本人として御接見会に招かれ、農業に関心の高い殿下と直接言葉を交わす好機を得て、お土産として胡椒をお届けすることになりました。数か月後、殿下から直接「美味しかったです。また購入したい」と御礼のご連絡を賜ったことで、「そうか!日本向けに販売するよりも、カンボジアのお土産として売ればいいんだ!」と考えを転換させることができました。

丁寧に育てた最高品質のオーガニック胡椒が、
『KURATA PEPPER』として価値あるブランドへ。

 ようやく夢への一歩を歩みかけた頃、倉田氏はもうひとつの運命的な出会いをします。日本からのツアーで訪れた由紀さんと、思いをひとつにして翌年2003年にご結婚。カンボジアに移住した由紀さんは、持ち前の自由な感性を生かし、「お土産としてもっと魅力的なパッケージや、オリジナルの加工食品を作って販売しては」と発案。カンボジア人愛用の藁製かごバッグや、ニス塗装を蜜蝋に代えた砂糖ヤシ製乳鉢なども、胡椒パッケージ用に現地で特注するなど、独自のアイデアで旅行者の心を掴み、リピーターを増やしていきます。これは倉田氏には考えつかない売り方でした。

倉田: 良いものを作っていれば必ず売れると思ってきましたが、売り方って大事だなと妻に教えられましたね。

 自分たちの育んできた胡椒を『KURATA PEPPER(クラタペッパー)』と命名。由紀さんが手描きした胡椒の実をパッケージやお店の看板やロゴにあしらい、唯一無二のカンボジア産ペッパーブランドが誕生しました。
 かわいい!と手に取りやすいお土産品としての魅力と、有機栽培にこだわり抜いた最高品質の胡椒。夫婦二人三脚でプノンペンに胡椒専門店をオープンさせるに至ります。

及川キーダさんのイラスト
胡椒の絵やロゴデザイン、パッケージのアイデアは由紀さん

 『KURATA PEPPER』は、いつしかフェアトレードやオーガニックを扱うシーンを中心に日本国内でも知られ始め、また外国人旅行者を通じてヨーロッパの国々からの引き合いも増えていきました。倉田氏の蒔いた種が実り、枝葉が広がり、カンボジアで胡椒栽培をする農家がどんどん激増!遂にはロゴカラーまで寄せた類似品のような胡椒が、土産物店に多く並ぶようにもなりました。
 現在は現地での生産・販売会社は倉田氏、日本国内での輸入販売会社は由紀さんと、まさに両輪で運営に当たっています。

GI認定のペッパーを超える魅力があれば、
世界に愛され、カンボジアを支えられる!

 その評判は、カンボジアをかつて植民地としていたフランスにも伝わり、「世界最高級のカンボジアの胡椒ブランドであるカンポット・ペッパーを復活させるため、栽培法を教えてほしい」というオファーが倉田氏のもとに飛び込んできます。カンボジアの経済自立の一助になるならと、惜しみなくノウハウを提供し、有機・無農薬栽培などカンポット・ペッパー認定のガイドラインの作成にまで携わりました。
 そうして復活したのが、2010年に世界貿易機関(WTO)から産地名を地域ブランドとして独占的に利用できるGI認定を受けた胡椒ブランド『カンポット・ペッパー』。この付加価値を得ることにより、最高級品質が保証され、他の胡椒よりも高値で販売することが可能になります。

 認定、復活に尽力した倉田氏の『KURATA PEPPER』も、カンポット州に隣接する州で生産されており、当然認証の範囲内と考えていたところ、なんと申請の際に規定から除外されてしまったというではありませんか。これは、すでに欧州にも進出していた『KURATA PEPPER』から市場を奪う狙いもあったと推察され、そのあまりにも理不尽な仕打ちに、当時倉田氏は忸怩たる思いを持たずにはいられなかったと言います。

 それでも、倉田氏が支援する農家が生産する胡椒は、GI認定の有無に関わらず、独自の品質管理基準を持ち、その品質から国内外で非常に高い評価を受けていることに揺るぎはありません。有機栽培へのこだわり、手作業による丁寧な栽培、伝統的な製法、厳しい品質管理、そして何よりもその素晴らしい風味によって、食通やプロの料理人、そして多くの消費者を魅了しています。特に一房に数粒のみ実らせた特大サイズの果実を樹上で完熟させ、一粒ずつ手摘みで収穫した〈完熟胡椒/ライブペッパー ®〉は、世界中のどこにもない『KURATA PEPPER』だけの至宝です。

 何より大事なことは、彼の事業は単に高品質な胡椒を生産し、販売チャネルを拡大して収益を上げるということではなく、「カンボジアの農家の自立を支援し、地域社会を活性化させる」という、より大きな目的を達成するためのものだということ。彼の胡椒は、そのストーリーや生産背景を含めて、多くの人々に感動を与え続けていることに間違いはありません。

 2019年に上梓した著書『THE KURATA PEPPER』(株式会社小学館)の巻末に、倉田氏はこうした一文を添えています。

 「私は、小さな胡椒の一粒を通じてカンボジアの未来を次の世代に託し、カンボジアの胡椒の産業が国造りのいちばんの基本になって、700年先も1000年先も、続いていけるようにしていきたい。そしてカンボジアの胡椒が世界一の胡椒として世界中の人に愛されるようにしていきたいと思っています。そして、この一粒の胡椒には、まだ無限に可能性が秘められていると思っています」。

 【後編—対談—】では、この『KURATA PEPPER』の香りと風味に魅了され、倉田夫妻のカンボジア胡椒の復活物語に深く感銘を受けた、ヤマサちくわ七代目 佐藤元英社長と倉田浩伸氏とのペッパーコラボ秘話などをご紹介します。

(記事内写真提供:株式会社クラタペッパー)


● 1月27日(月)NHKラジオ第1「マイあさ!」8:05〜

「ワールドアイ」のコーナーにて、倉田浩伸氏がカンボジアより出演します。

● Kurata Pepper Cambodiaツアーのお知らせ

2025年2月9日(日)
カンボジア現地法人主催の「Kurata Pepper Cambodia 収穫体験1Day バスツアー」を開催します。
(ランチ代込、50ドル)
毎年恒例現地発着のツアーです。
お問い合わせは info@kuratapepper.com


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