旬のひと・もの・こと特集

第18回 真澄 蔵元 <前編>

宮坂醸造株式会社(信州諏訪 7号酵母発祥の酒蔵)(2025.06.17)

信州・諏訪の地で創業360余年
「真澄」を磨き、未来を醸す。

【宮坂醸造株式会社】
長野県諏訪市元町1-16
電話:0266-52-6161

【ホームページ】 https://www.masumi.co.jp/
【オンラインショップ】 https://www.masumi.jp/
【Facebook】 https://www.facebook.com/sakemasumi/
【Instagram】https://www.instagram.com/masumi_sake/

諏訪大社の御神宝に由来する銘酒、
「七号酵母」発祥の地としての誇り。

写真提供:宮坂醸造株式会社

 八ヶ岳や霧ヶ峰、蓼科山に囲まれ、清らかな水と冷涼な空気に恵まれた長野県諏訪市。『宮坂醸造』は、この信州の地で360年以上の歴史を持つ銘酒〈真澄〉の蔵元です。酒銘は諏訪大社の御神宝「真澄の鏡」に由来します。日本酒愛好家にはすぐに浮かぶ信州の銘柄のひとつでしょう。
 〈真澄〉は、時代ごとにその風土に適った味わいを深め、日々の食卓を彩る上質な食中酒として全国で愛され、また近年は海外でも高い評価を得ています。

写真提供:宮坂醸造株式会社

 〈真澄〉の歴史を「七号酵母」抜きに語ることはできません。1946年(昭和21)にこの蔵から発見され、その優れた性質から「協会七号酵母」として全国の酒蔵へと広まり、日本酒の品質向上に大きく貢献してきました。宮坂醸造はその酵母の“発祥の地”として、酵母の魅力と特徴を生かしながら、原点を見失うことなく、温故知新の酒造りを探求し続けています。

 諏訪蔵の奥の一角には酵母を発見した山田正一博士の揮毫による「七号酵母誕生の地」のプレートが現存。

宮坂醸造には、現在「諏訪蔵」と「富士見蔵」の2つの醸造所があります。


諏訪蔵: 上諏訪駅近く、宮坂醸造の本蔵として創業。1946年に発見された酵母「協会七号酵母」発祥の地。蔵元直営ショップ『セラ真澄』とギャラリーが併設され、限定酒の試飲、酒器やギフトの購入のほか、アート展示や文化イベントも開催され、日本酒を通じた“体験”を提供。


富士見蔵: 諏訪郡富士見町に位置し、1982年(昭和57年)に建設。標高約960メートルの高地にあり、清涼な気候と豊富な自然に恵まれた環境の中で〈真澄〉や〈みやさか〉の主な醸造が行われています。原料米は、精米機8台を稼働し、全量自社で精米しています。

若き後継者と杜氏が四つに組んで東奔西走、
「美酒造り一徹!」努力が結実するまで。

 創業は1662年、寛文二年江戸初期四代将軍家綱の時代。宮坂家は戦国の世に武士から転じ、酒屋としての歩みを始めました。江戸時代には徳川家康の六男・松平忠輝公が愛飲し、赤穂浪士・大高源吾もその喉越しを称えたという逸話も残る、地域に根差した酒蔵です。文豪にして釣人の開高健氏の著書『私の釣魚大全』の中でも、諏訪湖でのワカサギ釣りとともに〈真澄〉を愛飲したことが綴られています。

 しかしながら、その歩みは決して平坦ではありませんでした。明治期には経営難に見舞われ、一時は蔵を手放さんという苦難も経験します。

 真澄にとっての大きな転機は、1921年(大正10年)。真澄の経営基盤を培った19代伊兵衛が59歳で早逝した後、本家の長男は当時味噌蔵など多岐に経営していたこともあり、次男である宮坂 勝(現社長 宮坂直孝氏の祖父)氏が、若くして酒造を担うことになったのです。

 「祖父は、諏訪の小さな酒屋が生き残るには“美酒造りに徹する”ことしか無いと、歳が近く酒造りに熱意のあった窪田千里氏を杜氏に抜擢し、東へ西へと二人で全国の名門蔵を訪ねて周ったそうです。この時、東広島市の名門蔵『賀茂鶴』さんに通い詰め、技術から経営まで教わったことで、酒の品質も変わり、販売も上向いていったと聞いています」(宮坂社長)

諏訪の酒蔵が生み出す美酒に秘する
革命的「酵母」が日本酒を変えた!

写真提供:宮坂醸造株式会社

 長年の試行錯誤が実を結び、1943年(昭和18年)には、全国清酒品評会で第1位を獲得し、一躍脚光を浴びました。さらには清酒鑑評会で〈真澄〉が上位入賞を繰り返すようになると、多くの研究者から「何か秘密があるのでは?」と着目され、蔵に訪れ、研究され始めます。1946年、大蔵省(現国税庁)醸造試験場の山田正一博士が、〈真澄〉の醪(もろみ)から新種の酵母を発見。他に類を見ない優れた醸造特性を持つことがわかり、「協会七号酵母」と名づけられ、瞬く間に全国の酒蔵へと拡がっていきました。
  “近代日本酒の礎”として、現在も全国約60%の酒蔵がこの酵母を使用しているほど。「七号酵母発祥の蔵」であることが、宮坂醸造にとって何物にも代えがたい誇りと品質へのあくなき探求心の源泉となっています。

最先端の都内百貨店勤務の経験を活かし、
日本酒業界に“季節商品”の門戸を開く!

写真提供:宮坂醸造株式会社

 祖父が杜氏とともに酒蔵と酒の基本品質を立て直し、父・和孝氏は瓶詰工場の近代化や東京へ新しいマーケットを拓くなど、保守的と言われている酒蔵業界の中では革新的なことに代々チャレンジしてきた宮坂醸造。時代の流れの中では、幾度も変革を迫られてきました。

 若き日の宮坂社長は、大学卒業、米国留学を経て間もなく、都内の百貨店『伊勢丹 新宿店』での勤務を経験します。1980年代、日本酒市場が縮小をはじめた頃で、最初に配属されたのは酒販部門ではなく婦人服売り場でした。

 「最初は納得がいかなくてね。ところが現場を経験してみると、シーズナルな視点やマーケティングなど、当時の酒販にはなかった概念が実に新鮮かつ、まさに目からウロコの毎日でした」

 やがて酒販部門も経験し、当時は珍しかった生酒販売で実績をつくり、帰郷します。ところが今度は、蔵に戻って味わった〈真澄〉に納得がいきません。

 「まず酒の味がまったく好みでなかった。おいしくない、ラベルの意匠も気に入らない。当時はよく親父とも言い争いをしました(笑)」と宮坂社長は振り返ります。しかし、その“外の目”こそが、真澄を大きく変えていくことになります。

 アパレルの世界で学んだ“季節感”。これこそ四季のある日本酒にも取り入れるべきと、宮坂社長は夏向けの生酒や冬の「あらばしり」といった季節商品を次々に開発します。当時はまだ珍しかった“季節ごとの酒”。このマーケティングが大当たりし、大きな売り上げにもつながりました。また、当時は不可能と思われた「生酒の宅配便配送」も実現。長野から東京までの冷蔵流通ルートを切り拓いていきました。

写真提供:宮坂醸造株式会社

 「婦人服では、季節ごとの色やデザイン、素材感が売上を左右します。これは酒にも応用できる!と確信したんですね。生酒などの配送体制も、当時は前例がなく大きな課題でしたが、伊勢丹の配送現場で出会った方に直に掛け合い、長野〜東京間ルートが実現しました。これも百貨店での経験とご縁があればこそ、この出会いに本当に感謝しています」

フランスワインの造り手から学んだ、
3つの視点とたゆみない努力に開眼!

 山あり谷ありを経験しつつ、革新は次なるステージへ。 焼酎ブームに圧され気味だった1995年、宮坂社長は日本酒の可能性を海外に見出し、〈真澄〉は世界へとその歩みを広げます。

 

 1995年、業界が不振に沈んでいた頃、「暗い顔をしていちゃ売れないよ」と、ある蔵元さんに誘われ、フランス・ワイン産地の旅へ。ボルドーやブルゴーニュの中小ワイナリーを訪ね歩いたこの旅が、〈真澄〉にとってもうひとつのエポックメイキングとなります。宮坂社長が旅を通して学んだのは、3つの柱でした。

 「1つ目は【品質の追求】。ワイン業界では、ぶどうの品種や土壌にまでこだわり抜く姿勢が当たり前で、ワインメーカーは皆一所懸命に改善改良に取り組んでおり、その職人魂にまず心を打たれたました。2つめは、【ワイナリーツーリズム】。保守的と言われるボルドーの蔵ですら、見学施設やショップを整え、顧客との接点を積極的に創出していました。3つめは【海外輸出】。当時のフランスは国内でのワイン余りに苦しんでおり、多くの蔵元が品質を理解してくれる海外市場へと販路を求めていました。こうした現場を目の当たりにして、日本酒の世界はまだまだ努力が足りない、と痛感したんです」

 帰国後、宮坂社長はこれらの課題を自社に取り入れていきます。まず、原料、品質を根本から見直し、パッケージについても一新。1996年には蔵内に直営ショップを開設、業界では前例のない挑戦でした。さらに1999年からは、世界最大級のワイン見本市VINEXPOに10回連続出展。国内需要に依存しない酒造業の未来を、自ら切り拓いたのです。

ブームに左右されるのではなく、
真澄にしかない味わいに原点回帰。

 ワインと同じく、日本酒においても“テロワール=風土・土壌”は、味わいはもとより、文化として伝える意味でもとても大切です。〈真澄〉では、仕込み水は霧ヶ峰や南アルプス山系の伏流水、酒米は美山錦、ひとごこち、山恵錦など地元・長野県産を80%以上使用し、それぞれの個性を引き出す酒造りを行なっています。また、技術面でも進化を続け、富士見蔵を中心とした生産体制で、科学的な分析と伝統技法の融合を図っています。

 一時期、華やかな香りの日本酒がもてはやされた時代もありました。〈真澄〉もその方向だったところに、宮坂社長の長男・勝彦氏から「七号酵母で酒造りをしていきたい」と提言があり、2019年頃から改めて「七号系自社株酵母」への回帰を決断。自社株酵母に特化し、「落ち着いた香りと調和のとれた味わい」を持つ、料理の味わいを引き立てる上質な食中酒造りへとシフトしました。

写真提供:宮坂醸造株式会社

 「かつて自分が若い頃に経験してきた祖父や父、蔵人との軋轢を、息子が突破したことが、〈真澄〉の進化につながってるんですね(笑)。求めたいのは、料亭の味よりは日常の家庭のおばんざいにちょうど好い美味い酒。〈真澄〉のある和やかな食卓、それが私たちの目指すところです。料理とともに自然と杯が進んで、ずっと飲み続けられる酒が理想で、止まらなくなっちゃう酒がいい酒」と、目を細める宮坂社長。

 その旨みの基本柱となるのが、「低アルコール」「しっかりとした酸」「グルコース(糖分)を抑え、甘みを遠くする」、そして「(一部商品における)ガス感」という4つのポイントだそうです。

 「私が蔵に入った頃は、過酷な蔵人の仕事や肉体労働の後に甘いドリンク剤を欲するような感じで、酒にもその甘さが求められたのでしょうが、僕の体にはまったく合わなかった。米特有のほのかな甘みはありつつも、軽快でキレが良く、次の一杯を誘うような酒質を追求しています」

 特徴的な製法ではなく、大切なのは基本品質を磨き続けること。「丁寧に、まじめに、基本に忠実に」が信条だと宮坂社長は語ります。派手さはないが、真面目に積み重ねた品質こそが、真澄の個性を支えています。
 さらに、〈真澄〉の商品づくりは、たとえば〈真朱 AKA〉は、酸の存在感を際立たせた味わい、〈白妙 SHIRO〉は低アルコールという特性を打ち出すなど、ひとつひとつに明確なコンセプトがあります。

写真提供(左):宮坂醸造株式会社

 「基本品質が高いことに加え、何をどう楽しんでもらいたいかを明確にした酒造りと売り方が、今の時代の〈真澄〉の魅力をかたちづくっていく。こうした商品づくりの部分は、息子たちの代でまた変わっていくものであっていいと思っています。蔵を大きくしていかなきゃとも思っていません。私は “この指とまれマーケティング”と呼んでいるのですが、味わい、デザイン、ネーミング、楽しむスタイルなど、自分の好みを最大限に生かした商品に、私も!と響き合う方が止まりにきてくれたらいい。地酒メーカーとはそういうものであっていいと思っています」

 代々脈々と磨き抜かれてきた〈真澄〉の基本品質と、その風土と自然、その時代の気風が生き生きと感じられる個の魅力と。その両輪が心地よくまわることで、その酒を味わう私たちも“こころ酔く”まわり、幸せに杯がすすむ。
 そんなひとときを、諏訪のまちを訪れ、蔵元のカウンターで体験できるのも、〈真澄〉ならではの魅力です。

写真提供:宮坂醸造株式会社

 〈後編〉[対談]では、「自分が美味しいと思うものしかつくりたくない、売りたくない」と思いを通じ合う、ヤマサちくわ七代目 佐藤元英社長と宮坂醸造 宮坂直孝社長との対談、宮坂醸造「諏訪蔵」「富士見蔵」見学の様子等をご紹介します。




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