第1回 2018.08.01
「ほ」からはじまる食のはなし。 日本は、古事記や日本書記においても、豊かな広々とした葦原のようにみずみずしく美しい稲穂が実る国(豊葦原千五百秋水穂国〜とよあしはらのちいおあきのみずほのくに)として、いにしえよりその自然の美が謳われてきました。
黄金色に輝く稲穂の「ほ」が一面に広がる実りの季節は、きっとこの世の何物にも代えがたい美しさで、人々に幸福感と豊かさをもたらしてきたことでしょう。
南北に長く、四季折々の自然に寄り添うように、全国各地に個性豊かな食文化が育まれてきた日本。そうした“自然を尊ぶ”日本人の精神を体現した、生産から消費に至るまでの食に関する慣習を、「和食:日本人の伝統的な食文化」と定義づけ、2013年12月、ユネスコ無形文化遺産に登録されました。
その順風に押され、海外では空前の「日本食ブーム」へと発展し、海外の日本食レストランは、この10年ほどの間に5倍に増加。国産農林水産物・食品の輸出額も、2016年まで4年連続で過去最高を更新し、まだまだその勢いは増すだろうと言われています。
日本においても、「好きな料理ベスト3は何ですか?」という質問ランキング(博報堂生活総研調べ)の1位は「寿司」で、20年間ずっと不動の地位を譲らず。刺身も含め、魚介類は日本人が最も好む食材であり、中でも「カニ・エビ・マグロ」をはじめ、「ウニ・イクラ・ホタテ」など、贅沢食材への嗜好性も高まっています。
ところが、そうしたブームの一方で、日本人の家庭における食事の実態は、確実に和食離れ・コメ離れ・魚離れが深刻化しているという現実も…。和食の基本である白い御飯に煮物・和え物・煮魚(焼魚)・味噌汁などの「一汁三菜」が家庭の食卓から姿を消し、ファーストフードや丼・麺類、ファミレスやカフェめしに代表されるワンプレート(ディッシュ)型の洋食化がとって代わって、若い世代の嗜好を大きく占めるようになりました。
さ・し・す・せ・そと言われる和食の調味料も、本来の伝統製法で造られたものは数少なくなり、化学物質や添加物を含む製品がスーパーの棚にずらり。その結果、日本人が本来持っていた五感や味覚さえ、崩壊しつつあります。
日本人が、こうした飽食・崩食と言われるマイナスの「ほ」の時代を乗り越え、世界に胸を張って誇れる“宝食”の「ほ」を切り開くためには、まず私たち自身が和食について正しく知り、その上で本物を見極め、本気で守りぬいていかなくてはなりません。
四季折々の山海の幸を捧げ、その恵みを八百万の神々に感謝し、手を合わせていただく。日本の食に息づくさまざまな習慣・伝統・文化を見つめ直すことで、身を美しく、食を美しく、躾け養う機会を育んでいきたいものです。
さて、最後の「ほ」の話です。
日本列島のちょうど真ん中あたり。奥三河の山々に囲まれ、豊川の流れを中心に豊橋平野から渥美半島までひろがる東三河地域は、古代豊かな実りの地であった「穂の国」に由来し、『ほの国』と呼ばれています。
「急速な時代の変遷の中、私たちは、ほの国の名のもとに、人と人との温かなつながりを土台とした、真に豊かで潤いある新しい地域生活のひとつのあり方を提案していきます」(東三河広域連合『ほの国』公式サイトより)
古くから城下町として、東海道五十三次の宿場町として栄え、近代以降は工業、農業ともにバランスの取れた発展を遂げてきた愛知県豊橋市も、『ほの国』の中核都市のひとつです。
『ヤマサちくわ』は、その豊橋の地で江戸時代の創業から190余年、「昔も今も変わらぬ旨さ」を伝え続けてきた水産練り製品製造・販売のリーディング・カンパニー。「鉛は金に変わらない」を基本精神とし、原料へのこだわりはもとより、伝統に培われた技法を守りつつ、常に本物の味を追求してきました。
海に囲まれ、森に育まれた恵み多き日本の食文化を、より豊かに、愛をもって味わうことで、人に良い「食」を次の時代へと伝えていきたい。そんな思いを形にし、多くのみなさんと学び合い、共有したいと、2017年9月、株式会社ヤマサちくわ代表取締役・佐藤元英社長の呼びかけのもと、『豊・食・人 GEN‐B(げんび〜)』を発足しました。
構想・発足からの一年は、東京都内、豊橋市内、名古屋市内にて、各専門分野の食にかかわるエキスパートの皆さんと、体験し、学び、おおいに食べ、語り合う交流会・勉強会、見学ツアー等を重ねてきました。
この【和食伝聞帖】では、そうした集いの場で話題になったテーマをはじめ、豊・食・人 GEN‐Bの視点から見聞きした文化や情報、伝えたい知恵・考察などについて、今後も定期的にコラム発信していきます。