第4回 2020.5.29
無病息災を願って贈る、「夏越のエールちくわ」。汗ばむ季節になると、恋しくなるのがひんやり冷た〜い「氷」。今でこそ、自宅の冷蔵庫やコンビニで年中いつでも手に入りますが、製氷技術や設備もなかった時代は、いったいどのようにして暑い夏をしのいでいたのでしょうか?
実は、日本には古来より、冬場にできた天然の氷を涼しい山中に深い穴を掘り、室を作って夏まで保管する「氷室」という貯蔵法がありました。古くは『日本書紀』にも記述が遺され、奈良時代から使われていたようです。当時夏場の氷はたいへんな貴重品だったため、各地にあった氷室は、朝廷の管理のもと、番を務める氷室守や氷を朝廷まで運ぶ役職なども定められていました。
宮中では、毎年陰暦6月朔日(1日)を「氷室の節会(せちえ)」として、貴重な氷を臣下にも賜り、「夏越の祓(なごしのはらえ)」とする行事がありました。暑い時期に氷室から取り寄せた貴重な氷を口にすることで、ひと夏を健康に過ごせるよう祈るといった習わしです。
江戸時代には、各地の大名が宮中や将軍家に氷を献上するなど、「氷室の節供」は行事として連綿と受け継がれていきました。やがて民間にも広まっていきますが、氷室の氷は身分の高い人たちに限られたものだったので、かわりに氷餅(こおりもち)や折餅(へぎもち)、あられなどを食べるようになったそうです。
京都でも、1年の折り返しにあたる6月晦日(30日)に、半年の罪や穢れを祓い、残り半年の無病息災を祈願する神事「夏越しの祓」が行われます。「水無月の祓」とも呼ばれ、「水無月」という氷室の氷をかたどった三角形のういろう生地に、厄除けの小豆を散らした銘菓が、行事食として親しまれています。
東と西を結ぶ東海道の中ほど、豊橋市(愛知県)では、重要無形民俗文化財「鬼祭」で知られる安久美神戸神明社にて毎年夏越の大祓が行われ、氏子らが大勢参拝に訪れます。形代(かたしろ)に名前・年齢を書き、身体をなで息を吹きかけて罪穢を祓う「夏越大祓式」や「茅の輪神事」のほか、豊橋市内で創業百有余年の老舗「ういろう餅昌(もちまさ)」の水無月が境内にて販売されます。
現在の石川県金沢市でも、この氷室にちなんだ伝統行事が毎年行われています。金沢の奥座敷・湯涌温泉観光協会が主体となり、毎年1月の最終日曜日に「氷室雪詰め(氷室仕込み)」が行なわれます。そして、半年間貯蔵の後、6月30日が「氷室開きの日」。藩政時代にのっとり、衣装・方式も当時のものを再現。金沢の夏の風物詩として知られ、多くの観光客が訪れます。
小屋から切り出し、運び出された氷は、献上氷室雪として一部が薬師寺へ奉納され、残りは加賀藩下の屋敷があった東京都板橋区に贈呈する伝統が、現在でも続いています。
この行事の起源は、江戸時代まで遡ります。加賀藩では、冬の間城内の氷室に貯蔵しておいた雪を「白山氷」と名づけ、陰暦6月朔日の「氷室の節供」に間に合わせるよう、桐の二重長持ちに入れて江戸の徳川将軍へ献上していました。
貴重な氷が江戸藩邸に無事に届くようにと、神社に饅頭を供えて祈願をしたことから、町民の間に「氷室開きの日に饅頭を食べる」という習慣が広がったそうです。
また、加賀から江戸への長距離も氷をなるべく溶かさないよう、むしろと笹の葉に幾重にも氷雪を包んで運んだことにちなみ、7月1日には青竹を芯にして直火焼きした太めの「氷室ちくわ」を食べる習慣も生まれました。
さらに、たんぱく質を安全に摂取しにくい暑い時期に、安心して食べてもらえるよう防腐・殺菌作用のある青竹にすり身を巻くことから、暑い夏を元気に乗り越えてほしいという健康への気遣いや無病息災を願って、娘の嫁ぎ先へ贈る風習が、金沢を中心とした北陸の初夏の風物詩として根付いています。
地域と地域の距離を越え、暑さを乗り越え、ともにすこやかに。夏越の祓行事とともに、そんな思いやりあふれるエールが、ちくわに託されてきたんですね。
6月晦日の大祓を終え、
7月1日の氷室の節供に贈る「氷室ちくわ」
この夏はヤマサちくわからも、“元気のエール”を贈ります。
お楽しみに!